【07.05.10】瀬戸市立小中学校元校長 水野美智雄さん

】「9条の会」は私の「命」の泉―主権者、国民の賢さを信じるところに、私たちの運動の価値がある

 
水野 美智雄さん

 一九三五年十月生まれ。
 瀬戸市立小中学校元校長「憲法9条をまもる瀬戸の会」代表世話人

小学校や各地の九条の会で、水野さんの手によるちぎり絵の紙芝居が評判です。「どんなことがあっても九条を手放してはいけません」と語られている水野さんのお宅におじゃまして、お話しを伺いました。

夢を持ち実現しよう

 教員を定年退職してから10年になります。私は、子ども達に、「夢を持とう、夢を実現するための計画を立て、日々努力しよう。友と夢を語り合い、友情を育もう」と語ってきました。夢や希望が持てることは、民主国家に生活する者の特権であり、平和の証です。

 つらい戦争を
   なぜしたの?

 
 現職の校長の時に子ども達に「子どもの頃の話しをして貰えないか」といわれたことがあり、戦争の時代でしたからその体験を語りました。
 そうしたら、子ども達から「そんなにつらい戦争をなぜしたの?」という質問が寄せられました。私は、なかなか答えられませんでした。考えたことがなかったからです。あとで、返事を書きました。「自分が正しいと思いこむことは、争いのもとです」と。
 いかなる理由付けをしようとも、暴力、殺人、戦争は悪です。正義を振りかざした戦争ほど怖いものはありません。戦争ほど虚しく酷いものはありません。

 妹の棺桶を作った
    悲しい記憶

 私は、それまで戦争体験を話したことはありませんでした。すぐ下の妹は、昭和20年、大腸カタルであっという間に死に、母と私は、半長持に白い紙を貼って妹の棺桶を作りました。母は「この子は、戦争を見に来ただけだ」と死ぬまで妹の死を悲しんでいました。
 今でも忘れられないことがあります。あるとき、妻が「今日は、終戦記念日だから、すいとんをつくったよ」と言ったことがあります。私は、好き嫌いはありませんが「すいとんだけは嫌い!」と叫んでいました。悲しい、ひもじい、苦しい思いが蘇ってきたのですね。「心に傷があっったのだなあ」と気づきました。妻には本当に悪いことを言ったと思いましたね。

 事実を伝える紙芝居

 瀬戸に「9条の会」ができたときに、空襲の経験を話して貰えないかと頼まれました。
 その頃、広島市が「語り部」ボランティアの方たちに、政治的な話をしてもらっては困る、ということで問題になっている新聞記事を見ていましたので、話をすれば、必ずそういうことになると思い、私の生活や、空襲警報の訓練、防空壕をこうやって作りましたと事実だけを伝えました。
 そうすれば、主催者側に迷惑にならないと思ったからです。それが紙芝居をつくるきっかけになりました。 結構、見たいという人がいてあちこちの「九条の会」やいくつかの小学校でやりました。学校でやるときは、当時の遊びなども話しています。
 
 共感者を求める
     姿勢が大切

 改憲を口にする政治家が多くなっていますが、一般市民はそうではありません。 日本国民のほとんどは、日本国憲法の「平和主義」を基本とする、第9条の戦争放棄と非武装、不戦の誓いを大切にしていると思います。これが私たちの運動の原点です。
 過半の国民が、第9条を含む日本国憲法の改正を求めていると思いこんではいけない。間違った思いこみで活動をすすめると、思い上がりと誤解されかねません。
 運動を広げようとするとき、共感者を求める姿勢が大切であると思います。
 主権者、国民の賢さを信じるところに、私たちの運動の価値があります。
 いつも謙虚さが大切ではないでしょうか。「テポドンが飛んできてもいいの?」と解っている人ほど、質問や反発をするのです。相手を責めてはいけません。
 「瀬戸9条の会」は、自民党の中心だった議長さん、私のような政党に全く関係ない者も入らせてもらっています。公明党、社民党、自民党の支持者の方の中でも九条だけは大事という人は結構多いと思います。
 私は、こういう方々と共同していけば、九条は守れると思います。

 改憲の動きに体重が   10キロも減る 
 
 第九条の戦力不保持の条文を「自衛の為の戦力をもつことができる」と解釈しようとする動きがあります。
「無法に武力攻撃される危険があろうとも、戦争の虚しさと平和の大切さを説きたい。空爆で死んでいたら、それは犬死でした。しかし、九条を守る日本国民として、無抵抗・無服従で殺されようとも、それは無駄死ではないと思う。たとえ日本の国が滅びようとも、やがて地球上から戦争がなくなった時、『昔、日本という国が、戦争放棄の憲法を忠実に守って亡ぼされたそうだ。これが礎となって、今の平和な世界が現れたそうだ』と、評価されることでしょう」と。これが私の考えです。
 幼少の頃の、戦争によって受けた心の傷がいわせるのでしょうか。
 数年前から、声高に、憲法改正を叫ぶ政治家が現れました。私の古傷が疼き、ストレスがふくらみ、行動せずには生きていられなくなりました。ストレスで体重が十キロも減ってしまったことがあります。
 しかし、「九条の会」が出来て、また、体重は元に戻りました。「九条の会」は私の「命」の泉です。
 世界中に紛争が渦巻く今こそ、私たちは、日本の誇り・世界の宝である憲法九条の精神が日本のみならず、世界に広がることを願っています。
 熾烈な空爆、子どもながら死を覚悟したこと幾たびか。日本人のみならず多数の犠牲と引き替えに手にした憲法九条。どんなことがあっても手離してはならないと思います。

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