【07.09..5】インタビュー神田 好能さん 

今の時代、ずっと平和であって欲しい 「平和希求」の思いで絵を描き続けて

 神田 好能さん
詩や油絵に平和への想いをこめ、春日井西部九条の会代表として活動されておられる神田さん。親戚の自民党国会議員へも「九条を守って」とメールで訴え続けておられます。8月21日、自宅でお話しをお伺いしました 

神田 好能さん
 
 1924年和歌山県生まれ、名古屋育ち。八三歳。仏政府公認「ミレー友好協会」正会員、国際美術審議会無鑑査、詩誌「じゆうさんか」主宰など画家として、詩人として活躍。春日井西部九条の会代表。

今の時代を平和で

 私が「平和」の活動を初めてもう15年ぐらいになります。
いまの時代がずーっと「平和」であって欲しいと思います。
 私の一人娘は、中学卒業と同時にイタリアへ留学し、フェリックス・アーヨ先生のもとへ旅立っていきました。先生は、バロック音楽の演奏を主体とするイ・ムジチ合奏団創設者です。
 音楽の勉強の為にイタリアへ留学、そのまま結婚した娘を恋しく偲ぶ私のこころは世界の情勢へ向きます。世界中が平和でなければ、イタリアへ飛行機に乗って、娘に逢いに行くことはできません。

どんなに息苦しい時代だったか

平和が続くようにと願うわたしには、自衛隊の海外派遣はショックでした。軍隊だけがだんだん強くなっていく時代に青春時代をおくったわたしには、今の時代はあの頃ととてもよく似ているような気がしてなりません。
 女子挺身隊として軍需産業で働いていた悪夢のような時代。そして毎日の本土への空襲、あの空襲の恐ろしさを忘れることができません。
 兄は、病気でしたので兵隊には取られませんでしたが、召集のため別れを言いにきた友達と兄が話している様子は本当につらいものでした。「お国のため」ということで召集令状が来ますから、戦争に反対でも行かなければならないのです。
 また、あるとき、仕事から帰ってきた父が、兄が絵を描いているのを見て、その絵を取り上げ、裏の畑で火を付けて燃やしてしまったのです。絵を描くことさえいけないことなんだと思いましたね。
いまでも忘れることはできないのですが、子どもの頃のこと、軍需工場で働いていた朝鮮の若い女性が従軍慰安婦として連れていかれたことを母から聞きました。私には、たいへん衝撃的な話でした。
 日常生活のなかに自由は全くありません。その時代がどんな怖いものだったか、どんなに息苦しかったことか。戦争の犠牲者は、死んだ人はもちろんですが、この時代を生きた人々も犠牲者ですね。

「平和希求」

 私は、若いときから本を読むのが好きでした。ドストエフスキーの『罪と罰』など沢山の文学を読みました。私には、本を読むことしかありませんでした。でも、そうした本を読んでいたこともあり、その後、自分が絵を描きはじめて、海外へ行くようになったとき、世界中の人たちが戦争で、どれだけ苦しんだのか、戦争がいかに愚かなことかということがわかりました。こうした経験もあって、平和へのおもいはずーっとありました。
 私は、54歳から初めて絵筆をもって油絵を描くことを習い始めました。好きな文章教室にも通うようになりました。一九九三年に作品「南河内の早春」でミレー友好協会日本支局展に入賞し、国内外の出品作品の制作に明け暮れていました。 一九九五年には、詩誌「じゆうさんか」一号発刊 主宰、作品「春を待ちわび」が世界芸術大賞受賞者フランス展DIPLOME受賞、その受賞記念パーティが東京であり、沢山の友人が集まり、楽しいひとときでした。その次の朝、地下鉄サリン事件が起きました。一日違いで友人もみんなが助かったと知り心から神さまに感謝しました。
 その頃から、「何のためにわたしは絵を描いているのか」という疑問が頭をよぎることが多くなりました。二〇〇〇年の作品「隅っこの無情」は橿原神宮に奉納になりました。
 そして、日本の平和、世界中の人の幸せというものを考えながら絵を描こう。無常を嘆いたり、無情を恨んだりせず、前向きに生きようと思いました。
 いま、「平和希求」との思いで絵を描き続けています。

親戚の国会議員にメールで

わたしもやれることをと思い、この地域の春日井西地区の代表になってくれと言われたときに、「やりましょう」と引き受けたんです。そのときに、どんな人がどうやっておられるのか全く知らなかったのですが、「9条を変えられてはいけない」と思ってやりかかったわけです。
 親戚に、自民党の国会議員で要職についている人がいます。この人に「これだけの人が憲法九条改悪に反対しているよ」と書いていつも、メールで送っています。
 安倍首相は、戦争をやることは平気のようですが、勉強が足りないのでは・・・。人間的に大切な思想をもっていないのでは・・・・。戦闘機にすごくお金をつかっていますが、武器などは必要ないです。アメリカもやり過ぎですね。あまりこういうことは喋らないのですが、時々は一番の大将さんに向かって言ってもいいと思いますよ。わたしは一番下だから(笑い)。
 あのような時代に逆戻りさせてはいけないと思うから、わたしは、何が何でも、平和憲法を守らなくてはならないという思いを強くしています。
 こんな婆さんに何が出来るか、でも何かをしなくてはならない平和の為に。
 憲法九条改悪反対の憲法学者の人のお話を聞いたり、九条改悪反対を訴える「詩人の輪」の会員になり詩の朗読をしたり、私に出来ることは、したいと考えています。

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