【12.02.07】復帰40年を前に―「癒しの島」に暮らす、癒されない島人に思いを寄せる

阪井芳貴さん(名古屋市立大学大学院教授)

 
 インタビューしていただいてから、すでに1年半近くが経つと思います。この間にも、沖縄を巡って、さまざまな問題が次から次へと起こり、そして、そのほとんどが現在進行形です。戦後沖縄が抱えざるを得なかった諸問題は、「復帰」を遂げたにもかかわらず、核兵器撤去以外すべてが持ち越されていると言っても過言ではありませんが、そこにさらに上積みされていく。しかも、それが質的に悪化しているように感じます。
 その「質」というのは、ヤマトによる「差別」を私は念頭に置いて申しています。アメリカ世においては、沖縄はヤマトから、ある意味憐憫の情をもって見られており、それがヤマトからの復帰運動という形になって表出した、と思うのです。が、「日本国の沖縄県」となるや、憐憫は無理解と嫉妬に、さらに「差別」へと変質したのではないか。
 他県にはない形で振興策という名の莫大な投資をおこない、それに依らざるを得ない社会構造に変え、結果、米軍基地は動かせぬものに変わり、日米の協調関係は沖縄県民の過重負担によって支えられるようになりました。ヤマトゥンチュは、その過重負担と自ら追うべき負担には知らぬふりをしながら、沖縄に対して幻の沖縄(癒しの島)の実現を求め、ウチナーンチュもそれを甘んじて受け入れざるを得ないのです。「癒しの島」に暮らす癒されない島人の心の底をヤマトゥンチュが見ることは、決してないのです。これを県民は「差別」と捉え、はや40年が過ぎてしまいました。復帰40年を機に、私たちは真摯にこの40年間を振り返るべきではないでしょうか。

 *阪井芳貴さんは、2010年9月号インタビューに登場していただき、ウチナンテュとヤ  マトゥンチュと―基地問題の解決を!」と語っていただきました。

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