【12.09.06】ドキュメンタリー映画監督 藤本幸久さん

平和をつくる最前線――高江のヘリパットを作らせない闘い

 1973年8月2日、CH46ヘリ墜落、乗員三人死亡、一人行方不明。75年6月24日、CH46ヘリ工事資材運搬用ロープに接触、墜落炎上、乗員三人死亡。80年12月19日、CH46木材搬出用ワイヤに接触、乗員一人死亡。88年10月31日、CH46ヘリ墜落炎上、乗員四人死亡。99年4月19日、CH54ヘリ北部訓練場の沖合に墜落、乗員四人死亡。
 この五件はいずれも、72年の復帰以後に高江のある米軍北部訓練場で起きた墜落死亡事故である。

 なぜ、こうも次々と事故が起こるのか。それは、北部訓練場では、高度15メートルで山や谷に沿って、急上昇、急降下を繰り返す訓練が毎日のように行われているからだ。
 民間ヘリなら、安全な高度で飛べば良いのだが、軍用ヘリは、高さ15メートルで地形に沿って飛ばないと、地上から攻撃で次々と墜落されることになる。
 だから、戦場へヘリを送るには、高江で超低空飛行訓練を、必ずやらなくてはならない。つまり、普天間と高江はセットなのだ。

 オスプレイが配備されると、オスプレイを使って、超低空飛行訓練が行われる。
 北部訓練場では、訓練中にエンジンの故障したヘリが77年、87年に2件、99年、2001年に緊急着陸している。ヘリと違って竹とんぼのようなオートローテーション機能のないオスプレイなら、エンジンが故障すれば、必ず墜落する。
 つまり、オスプレイ配備に反対する沖縄の闘いは、住民の命を守る闘いなのだ。そして同時に、高江のオスプレイパッドを作らせない闘いは、戦場への米軍機を送らせない闘いでもある。
 世界の平和をつくる最前線が、高江のヘリパットを作らせる闘いなのだ。

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