【15.09.10】佐藤毅さん(元東京新聞編集局長)―真実の報道に徹しなければ

 最近、権力者の発する言葉がとみに「空疎」に感じられてならない。折角の国会中継なども、まったく真実性が感じられず、空しくなって切ってしまうことが多い。
 昔から「政治的発言」と言って、政治家の発言はあまり信用できないものとされているが、それにしても今の権力者の発言は「三百代言」に近い。狙いは初めから決まっており、後は国会で「どうごまかすか」「どう言い逃れるか」だけだから、答弁は自ずから空疎になってしまうのだろう。
 いや、もう一歩突っ込んで言えば、官僚作文を上手に使って、空疎な饒舌で審議を空転させ日程を消化することが、権力者の政治的手腕と目されているとも解釈できる。野党の論客たちはこの議論の空転を打破することができず、堂々巡りの質疑応答を繰り返す。「もう、いいジャン」、権力者の口からこんな低俗な野次が飛び出すのも、自公連合が国会両院で「絶対多数」を占めているという数のおごりであろう。

 「憲政の神様」と称された故・尾崎行雄翁はかつて「国会は議事堂ではなくして、単なる表決堂である」と、喝破された。現在の国会は、まさに表決堂にすぎない。歴史の流れから見て、空しい言葉を弄ぶ権力者にはやがてそれ相応の報いが来る、と信じたい。

 顧みて、わが新聞界。戦後数十年「報道の自由」の名分に守られながら、果たしてそれに値する「真実の言葉」を述べて来たか、どうか?これから難しい時代がやって来る。真実の報道に徹しなければなるまい。

*佐藤毅さんは、2006年2月号インタビューに登場され、「憲法の理想を守らねば」と語っていただきました。

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