【16.03.10】北川善英さん――立憲主義を取り戻す!民主主義の実現へ

憲法で保障された権利を日常的に行使して

 
北川 善英さん

1948年、岐阜市生まれ。現在、横浜国立大学名誉教授、愛知淑徳大学非常勤講師。名古屋大学卒、日進市在住。専門はフランス憲法研究、横浜国立大学法教育研究会主宰。

立憲主義を回復させる意味

日本国憲法は、戦争放棄・戦力不保持とする先進的な平和主義をかかげています。
安倍政権が安保法制(戦争法)を強行成立させた今日、立憲主義を回復させることの意味は、何か。それは、平和主義をはじめ、それと固く結びついた基本的人権、民主主義という立憲主義の実質的価値を取り戻すことだと思います。
 立憲主義は「国家権力の制限」だというようにとらえられている方もいるのですが、立憲主義とは、国家権力の行使を憲法で縛るルールです。
 教育を受ける権利や生存権、労働権は、国家が積極的に関与しなければならない権利で、制限したら実現はできません。反対に表現の自由や言論の自由は、国家権力を制限しないといけない。「制限」と「縛る」は全く違うものです。

立憲主義を回復させるために私たちは

 実は教育の問題に根源があるのですが、中学校の教科書では民主主義について「みんなで話してみんなで決めること」と書いてあります。「民主主義は多数決だ」という人もいます。民主主義は何のために必要かという目的が落ちています。大事なことは、民主主義の目的、内容である国民の人権保障を、その時々の人々の気持ちや意志を、社会状況のなかで常に発展させるということです。
 立憲主義も形式的には憲法の最高法規、三権分立、違憲審査など国家権力の行使を縛るルールです。立憲主義は制度によって維持するだけではなくて、ひとり一人の国民が憲法上の人権、表現の自由、結社の自由を日常的に行使して憲法をまもるということも立憲主義の一つの重要な形式(方法)であるはずです。
 今回の戦争法、その前の特定秘密保護法、福島原発事故あたりから市民が立ち上がったというのは、立憲主義を自分たちの手で維持するんだとの表れということができます。

私たちは民主主義の原点

 かつてのように教員も学生も一緒に議論するようなゆとりもサロン的な雰囲気もなくなりました。
 私の学生・院生時代には、教授同士が話し合っている場にいて話をきいていてもかまいませんでした。
 懐かしい話ですが名古屋大学で長谷川正安さんと室井力さんとが話されていた場に、院生の私が平気で話を聞いていました。時々いきなり、おまえはどう思うのかと聞かれて何が何だかわからなかったことがよくありました。
 若い人たちは、これまでそういうことを言いたいことを言いたくても場がなかった。大学でもそういう議論はほとんどしませんから。だからSNSでたまたまちょっとしたきっかけがあって言いたいことを言える場ができた。言える言葉で表現していると思います。国会前などで、若い人たちがたどたどしい言葉ですがほとばしるように本質を言っていると思います。  運動の中で言葉を整理して、話す内容のレベルがあがっています。
 民主主義とは選挙を通じて一票を投じるだけではない、憲法で保障された権利を日常的に行使するということです。それが国会前で「民主主義ってなんだ これだ」というコールに表れています。私たち市民が民主主義の原点なんだ、と。
原発で専門家にまかせたら危ない、監視やチェックをしないと自分たちになにが降りかかってくるのかわからない、「俺が最高責任者だ。黙ってついてこい」という安倍首相に「信用できないよね」、という空気は広がっています。
 野党共闘の流れを大きく、一致できるところで、多少のちがいはでてもいかにして一致して少しずつ発展させるのかという視点が大事です。
 その原動力は、普通の人たちの素朴だけれども平和主義や民主主義、立憲主義に対する原理的な理解です。市民や社会が、普通の若者とママたちという従来とは違う新鮮な担い手たちに元気づけられました。SEALDsやママたち若い世代の感覚を大事にした運動を模索する必要があるのでしょうね。
大学では、いろんな形の文科省の締め付けで縮こまっていることはあります。だから、戦争法をきっかけに、いまなんとかしなければ、研究に閉じこもっていいのか、という人たちも確実に増えていますね。

民主主義社会の担い手を

 私は、横浜国立大学法教育研究会を主宰しています。個人を尊重する自由で公正な民主主義社会の担い手として、人権から民主主義・立憲主義・平和主義といった基本的で原理的な問題を、中学校からしっかりと学ぶことが大切だと取り組んでいま。

水に投げた石のように

 横浜国大にいたときの私の経験ですが、ちょっとした行動や発言も、水に投げた石のようにだんだんとさざ波が広がっていくんですね。
 現実は、様々なところで、一人一人が、それぞれの状況に応じて、できることを持続的にやることで必ず変わっていくと思います。
 そして、私たち研究者の役割は、安保法制廃止の運動を学び、理論化し、それを返していくことだと思っています。

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