【11.04.09】勝手ながら沖縄に移りました―小林武さん(革新・愛知の会代表世話人)

勝手ながら沖縄に移りました。

この3月、愛知大学を70歳で定年退職しましたが、4月より沖縄に移りました。勝手ながらこうした選択をしましたことにつき、一言ごあいさつを申し上げます。

 沖縄では、沖縄大学客員教授として大学院を担当します。同時に、琉球大学の法科大学院で講義し、また沖縄国際大学の研究所に加わります。併せ、弁護士として、基地問題をはじめ平和と人権の憲法訴訟に加わります。それらをとおして、何より、これまで私に不足していた憲法の勉強をしたい、これが中心です。

 「沖縄で考えたい」というのは、私にとって青春以来の夢でした。1960年、沖縄はまだ米軍統治の下にありました。私は、大学2回生。青年の主張弁論大会で、沖縄には日本国憲法が適用されず、核をもつ基地が島中に置かれ、異民族支配が続いている、この不条理は許されない、と叫びました。それが、沖縄に向かう出発点であったと思います。

 憲法研究者の道に進んでからも、沖縄への思いを抱き続けたのですが、とくに1996年は決定的な年になりました。米軍の基地使用を認めない地主に代わって知事が署名をして土地収容手続を進めてしまう代理署名を、時の大田昌秀知事が拒否し、それに対して村山富市首相が職務施行命令訴訟を提起しました。この訴訟で私に鑑定意見書が依頼され、事は急を要するため、大晦日から正月5日の間に、それを阿修羅のごとくに書き上げました。沖縄への情熱だけが支えでした。

 これでますます気持ちが固まりました。現地の人々からは「畑を用意するから」と移沖の勧めを受けるようにもなりました。それから15年経って、夢が具体化したわけです。

 名古屋で私がかかわってきましたのは、革新懇、憲法会議と九条の会、そしてこの度の河村クーデタを許さない「一四氏の会」などですが、結局憲法運動です。それらすべてに、これまで以上に名ばかりの関係になり、ほんとうに申し訳ありません。ただ、憲法一筋に歩むことだけは、守り続けたいと思います。

 名古屋にも時々戻り、ご報告をします。これからも、どうかよろしくお願いします。

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