県革新懇ニュース−この人に聞く

【11.01.05】新春インタビュー  声楽家の夏目久子さん&沖縄出身の具志堅邦子さん対談

「豊かに人間らしく 生きることは、素敵な楽しいこと」

  昨年、革新・愛知の会主催の「音楽と講演の夕べ」に出演され、沖縄の歌で、観客を魅了された声楽家の夏目久子さんと、沖縄出身、文化活動を通じて沖縄のことを訴え続けておられる具志堅邦子さんが対談。歌のこと、文化のこと、沖縄のことなど話が弾みました。

  夏目 久子さん

声楽家。1942年生まれ。同志社女子大学音楽科声楽専攻卒。オペラ公演に主にメゾソプラノ役で多数出演。名古屋文化振興事業団、名古屋二期会演奏家ソサエティ、室内歌劇団エトセトラ等でオペラやミュージカルに出演。名古屋文化振興事業団理事。名古屋二期会理事。名古屋文化短期大学講師。山香子の会、松坂屋カルチャーなどで指導。アンサンブル・シオン指揮。昨年の革新・愛知の会の講演と音楽の夕べに出演。

  具志堅 邦子 さん

1955年、沖縄県名護市生まれ。
日本の大学へ進学するが価値を見いだせず通学を止める。日本美術会付属研究所「民美」で美術を学び西洋の古典を確認のため半年間、ヨーロッパの美術館を訪ね歩く。名古屋に居を移し、瀬戸の土に出会い工房を持つ。平面、立体、ミクストメディアによる個展・グループ展で表現活動、現在は陶工房&ギャラリー 「風在舎」を主宰

自分らしい音をみつけるまで

具志堅 
 昨年6月3日の革新懇「音楽と講演の夕べ」で夏目さんの歌を聴き、ぜひ、お会いしたいと思っていました。空間や環境をかえてくれるというのは、音楽の力ですね。
 どのようなきっかけで音楽に出会われたのですか。

夏目 
 母が音楽好きで、小さいときから一人っ子の私は、よく映画館や宝塚に連れて行かれました。 自分が見たいから連れて行ったのでしょうね。字幕スーパーを読み終わらないうちに画面が変わってしまうので「今、なんて書いてあるの?」と聞くと「シー」と。ですから、想像しながら見ていました。今思うとその経験が生きているのかしら。そんなふうでしたから、幼い時から音楽には親しんできました。
 私は、引っ込み思案で人とお話しできなくて「ちゃんと、あいさつしなさい」と言われても「こんにちは」と言えませんでした。「久子ちゃんはにーってわらわはるだけやね」そんな私がだんだんに、自分を出していいところなんだ。思い切っていいんだとおもえるようになったのが歌の世界であり、今は楽しく思えるようになってきました。

歌のおかげで自分を解放

夏目 
 学校の頃、発声がまだ分らなくて「あなたは、声に欠陥が・・・」と一言いわれ、階段を駆け下りトイレの中で泣きました。その時は、「音楽をやめよう」と思いました。
 悩みながら卒業して、その後、出合った先生から「力をぬくことね」といわれました。表現したい、思いを伝えたいとおもっても、発声がきちんと出来ないとダメと思い、その後、結婚し、子育てをしながら、レッスンをうけのんびりやってきて、やっと自分らしい音を見つけられるまでになりました。
 苦しんでいるときに、「いまの声だよ」と言われたことがありましたが、どうすればいいのかまだ分りませんでしたが、今の先生のおかげで声がだんだん解きほぐされ声に自分の思いをのせていけるかなと今、やっと思い始めています。
 声の良さでも、テクニックでもない、やはり一番は、心の表現。これでいいと言うことは絶対にありません。
 だから、続けられるのかなと思います。楽しいですね。
 歌は、自分の心を表現する手段かも知れません。私は歌のおかげで自分を解放できるようになったと感謝しています。

市民がやるべきことは戦争を止めること

具志堅 
 私は、沖縄に生まれ、沖縄の置かれた状況が理不尽だ、納得できないと感じて生きてきました。戦争も戦争の準備も人間の心を無機質なものにする、そうでないと、人を殺せないから・・。音楽は人を豊かにし人間らしい気持ちを復活させることができる、苦しいとき、歌って勇気づけられてきたとか、そういうところに文化の力はあると思います。
 人間が生きることは素敵な楽しいことだと。豊かなものをめざし、生きていきたい、と。
 沖縄は悲惨な地上戦を経験してきました。私たちは、戦後の壊れた沖縄から出発している。
 絵で何ができるのか何を表現していくのか、ずっと葛藤してきましたが、今は部屋に絵が一つあることで、この空間がとても豊かなものになる、そういう絵も大事だと思うようになりました。
 沖縄を何とかしたいというところからすべて出発していたので、地元で、14年間、非暴力で辺野古の基地を阻止して座り込みが続いている。基地建設を断念させることが出来るかもしれない、と。この間、ものを創るより、運動の方が大事だと思ってきていました。
 沖縄はかつて薩摩に侵略され、明治の琉球処分、皇民化教育で沖縄の言葉も奪われましたが歌や踊りが常に暮らしのなかにあり、人々の心を支えてきました。
 今は音楽の領域、ジャンルがいっそう広がりをみせ、美術の表現も多彩になってきています。沖縄は表面積より自然や文化に奥行きがあります。今のうちに、沖縄の自然と共生した時代の言語や文化を検証する努力をしなければ、沖縄の原風景が失われるかもしれません。沖縄は自ら望んだわけではない、日本の戦争の捨石になって人間も自然も破壊されました。
 二度と戦争はしない。兵隊は国民を守らない。市民がやるべき事は、戦争を止めること。戦争を止めさせるために私たちは力を合わせなければなりません。
 沖縄の国民の8割は基地はいらないということです。基地を無くすことで、経済も再建できる。生物多様性を含め、沖縄の自然の魅力を生かした新しい地域づくりが一方でははじまっていて、政府が沖縄の民意を尊重すれば、状況は厳しいけれど大変ユニークな都市と自然との共生を実現する可能性があります。
 沖縄と改めて向き合うことで、テーマの再発見もあり、やっと少し仕事に戻れそうです。
 私が尊敬する阿波根昌鴻さんが101才で亡くなられました。20代に阿波根さんの著書『米軍と農民』を読んで感動し伊江島に会いに行き、デッサンさせて貰ったのです。「葬式の絵はあなたに頼む」といわれましたが、それは果たせませんでした。 
 今年の県知事選挙後、沖縄に行き、阿波根昌鴻さんの肖像画を描こう、自分がもう一度仕事をするきっかけになるのではと思えてきました。絵でも色や素材、線一つ、丁寧に大事にしていく仕事をやり続けることが、大事であることを感じています。

歌うことで平和を伝えれば

夏目
 「芭蕉布」を歌ってと言われたのが沖縄の歌を始めるきっかけです。戦後の沖縄の厳しい状況のもと、みんなの気持ちを慰める歌だったことを知りました。「芭蕉布」、「さとうきび畑」と好きな歌がたくさんありました。「ひめゆりの塔」を歌った「すみれの花」も素敵です。歌の魅力から沖縄のことを知りました。初めて沖縄に行って、沖縄のことを知らないで歌っていたんだなあ、と。
 
 具志堅
 沖縄戦のときに、90%は珊瑚が死滅したといわれています。今もどんどん死滅しその保全のために相当力を注がないといけないです。その危機感が、行政の側になく専門家が嘆いています。辺野古は、青珊瑚の群落が見つかっており、新種の生物が40種類以上発見されています。

 夏目
 私はただ、ただ、一生懸命沖縄の歌を歌うことが平和につながればいいという思いです。安心して歌が歌いたい、平和でなければと思いますね。
「さとうきび畑」の歌の主人公はひとりの少女、沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らず、大きくなり、ひとりで父親を探しにさとうきび畑に行く。父はなぜ殺しあったのか、なぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える歌。
 歌うことで平和を伝えれば一番自分に似合っていると思います。

 具志堅 
 ヨーロッパでは、ルーブル美術館に毎日通って模写出来きるのですが、日本はそのような環境はないですね。観る側、創る側が等しく育っていくようにしないと本当に豊かにならないですね。

 夏目
 助成金がどんどん減っていますね。文化に対して予算が減っていて、文化の火を絶やさないようにしなければいけないですね。

今年の抱負

夏目
 痴呆症の母が童謡唱歌「このみち」を聞いて、ツーと涙を流したことがあるのですが、お年寄りの方と一緒に童謡唱歌を歌い続けたいし、自分も出来るだけ歌っていきたい。年を重ねることを、楽しみながら、平和のことや老人問題も歌にして・・・・。(笑い)

 具志堅
 20才の頃には描けなかったであろう阿波根さんの肖像画に取りかかりたいです。
 彼は、非暴力で、アメリカ政府と戦い続け、沖縄で非暴力の抵抗という伝統をつくり、辺野古では、非暴力で闘います。それがルール、その伝統をつくった方です。描ける自信がないのですが、もう一度、阿波根さんを見つめ直し、学び直し、とっかかって描いているうちに分るかもしれないと思っています。今日、お話しをして、そういう気持ちになれました。

 夏目 
 沖縄出身の方とお話しをして私の平和への気持ちは、まだまだ浅い、もっと、もっといい歌を歌えるようにしていきたいと思います。

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